就職活動というのは思ったよりも難しいものらしい。「自分ほどの人材はいない」「むしろ企業から私に擦り寄ってくる」などと意味の分からない自信をぶら下げ、当たり前に撃沈した。お祈りメールが届く度に「不必要だ」と言われている気分になり、ついに心を壊した。人手不足だ人手不足だと喚いているくせに、教養も常識もない頭のおかしい人間は雇ってもらえないのだから、社会というのは恐ろしく合理的で正しいものである。
思い切りだけはいつも良いので、「ほな、もうええですわ(笑)」と就職を諦めた。頭をオレンジに染めて大阪万博に行った。人には人のタイミングがあって、私のそれは今じゃないのだろうと思うことにした。考えすぎるとすぐに心を壊すので、ただ寝たり起きたりしている生活はとても心地が良かった。 こうやってサボテンのように生きていたいと思った。
バイト先の同期や先輩後輩は私が働かないことを知っているが、社員はそれを知らない。社員と「いや〜東京が〜」などとかなり精巧な嘘の話をしているとき、皆は私を「こいつ…」という目で見てくる。一番私を舐めている後輩には「嘘の上には、嘘しか重ねられないっすよ」と言われた。何だか馬鹿らしくなって全部白状したが、なんとその後輩が先にリークしていたらしく、私はただ皆に掌の上で転がされていただけだった。家賃とか路線まで調べてたあの時間は何だったんだよ。その後輩は私がもう1年いることを喜んでいて、放浪してる先輩ってのも悪くないなと思った。そしてちょっと泣いた。
インスタを流し見していると、卒業式や卒業旅行の写真が滝のように流れてくる。「最高の仲間と最高の4年間」「大学生活楽しかった」「またどこかで」「4月からはそれぞれの場所で頑張ろう」、心の内からムズムズするような言葉ばかり流れてくる。なんでそんな顔ができるんだ。4年間まともに大学に通わず、友達も多くなく、サークルにも所属していなく、進路もない自分は何を祝われたらいいのか全く分からない。入って出たという結果だけがあって、それが大学であった必要は全くなかったなと思う。大学で学んだことなんかより、旅行の思い出の方がよっぽどEXPが高い。未来の明るい同期の海外旅行の写真より、デキ婚して大学を辞めた中学の同級生のガキの写真の方がよっぽど体にいい。
成人式で振袖を着れなかったことをまだ引きずっている。この気持ちがボロボロになって分からなくなるまで引きずっていくのだと思う。同じ理由で、卒業式のことも引きずるのだろう。きっとそこにいるのが気まづくて、証書だけもらってすぐ帰るけれど、それでも卒業式には行こうと思う。北海道大学さん、こんな自分にも「学歴」という唯一戦えるカードをくれてありがとう。もう既に無駄にしています。
そんなこんなで職業不定生活があと二週間で始まる。楽しみなことは一つもないが、不安なことも一つもない。女手1つで育てた娘がこんなんになっても親というのは子に優しい。なぜなら、親も働いていないから。「犯罪だけは犯さないでくださいよ!」と鈴原サクラみたいなことを言われた。