突然、七夕に短冊を書くのはどうしてなんだろうと思った。クリスマスはサンタさんにプレゼントお願いするし、絵馬は神様にお願いをする、分かる。その辺はまだ理解出来るけれど、七夕に願い事するのは織姫と彦星には荷が重いんじゃないか?織姫と彦星は年に1回しか会えないのに、その間ずっと (七夕だけに)星の数ほどあるお願いを整理し続けているのか?
どうしようもなく気になって調べたら、どうやら織姫は織物上手でどうのこうのとよく分からない説明が出てきた。なるほど、由来があるのか。でも多分、織姫と彦星は私たちのお願いを整理し続けているんだろうとも思う。想像したらなんだか選挙の開票みたいで笑えた。あとなんか彼らは星の距離の関係で14年に1度しか会えないらしい。切なすぎる、願いとか良いから、昼下がりの部屋で扇風機を浴びながら素麺とか食べていて欲しい。
ずっと夏休みが恋しい。
夏休みに戻りたい。
もう一度あの夏に溺れたい。
今年の夏は最高だった。息継ぎもしないで走り抜けた、私の脳が焼けて、あなたの脳を焼いて、夏は加速する。馬鹿みたいに浅い海に浸かって、人生で一番大きな花火を見た。半袖を片付けても、木の葉が赤くなっても、秋が暮れても、雪が降っても、有線で冬の歌が流れても、何度も何度もあの日々の夢を見ている。何度も何度もあの日々の話を書いている。温度を忘れても、匂いが消えても、音が消えても、味がしなくなっても、捨て時が分からなくなったボロボロの人形みたいに大事に抱きしめている。
花火の日だけ雨だったけれど、本州は笑っちゃうくらい夏だった。夢見てるみたいな海沿い道路も、あのファミリーマートの看板も、とうもろこしの天ぷらも、全然滑らないすべり台も、寂れた街も宿も商店街も、飲み込まれそうなくらい大きな花火も、ほとんど写真なんてないけど鮮明に思い出せる、きっとずっと忘れないでいられる。
うたた寝してたらあの花火の夢を見た。ああ、あの花火は私に呪いをかけたんだ。夏は私を置き去りにしていなくなってしまったのに、夏に住み続ける、思い出に住み続ける化け物になっている。
もう夏はしばらく来ないけど、年に一度(北海道は8月7日だから2回という説もある)しか会えない織姫と彦星よりはマシだと思うようにしている。北海道の夏の寿命は2ヶ月、遊ぶにはちょっと足りない。どうしよう、寝起きで殴り書きしたら支離滅裂になっちゃった。誰に送るものでもない、言葉の壁打ち。来年の夏は何しようね、富士急とか行く?